こんにちはまつこです。子どもが生まれたばかりで育休中のアラサーです。
今日は、特別お題から「私がとらわれていた『しなきゃ』」について考えました。
この記事を書いた人
私は三姉妹の長女です。
「お姉ちゃんだから」という理由から「しっかりしなきゃ」といつも思っていました。
困ったときにも「自分で解決しなきゃ」という思いがありましたが、様々な人と出会って、周りの人にも上手に頼れるようになりました。
大人になるにつれて「しなきゃ」は減っていったように思います。
「正しさ」は一つじゃない
私の中に、特に厄介だった「しなきゃ」があります。
それは「正しいことを相手にしっかり伝えなきゃ」という「しなきゃ」です。
要するに「間違っている人に対して『正しさ』を押し付け、論破しなきゃ」という思いです。
そのため、自分の「正しい」意見をストレートに相手にぶつけることが常でした。学生時代に友達と言い合いになることもありました。
大学を卒業して公立小学校の教員になり5年目、担任していた小学5年生の道徳の授業で
「自分だけが正しいとは限らない」
「見方を変えると相手も自分も、『正しい』のかもしれない」
「『正しさ』をまっすぐ伝えることが本当に『正しい』のだろうか」
と、そんなことを感じられる教材がありました。
小学校5年生向けの教材でしたが、その教材で教員である私自身が今までの間違いに気付かされました。
自分の思いは正しいといつも思って生きてきましたし、恥ずかしながら「正しさ」は常に1つしかないと思って生きてきました。
でも、
「自分だけが正しいわけじゃない」ということに気付きました。
今まで論破してきた人たちに、ただただごめんなさいと謝りたいです。
相手の間違いを訂正して、納得してもらって私自身は気持ち良くなっていましたが、もしかしたら私の頑なさに折れてくれていただけだったのかなって今さらながら思います。
物事の「正しさ」というのは人によって、立場や価値観によって変わってきます。その場での「正しさ」は1つではありません。
それ以来、自分の尺度だけで測った正しさを人に押し付けることは辞めようと心に留めています。(今でもたまに、自分の「正しさ」を伝えようと躍起になってしまうこともありますが・・・)
相手の考えに自分と異なる部分を見つけたときには「そういう考えもあるよね」と柔軟に対応できるようになりました。
自分も大人になったなと我ながら思います。
以上、私がとらわれていた「しなきゃ」の話でした。
終わりに
今回の文章はいつになく自分語りの文章になってしまいました。少し恥ずかしいです。
でも、自分のことをじっくりと考えるのもたまにはいいですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
まつこ
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