はじめましてまつこです。
需要はあまりないかもしれませんが、今回はこのブログ「まつこごと」を書いている私「まつこ」の自己紹介をしようと思います。
私は児童指導員として児童発達支援で働く、「Hey!Say!JUMP」にぎりぎり入ることができる30代です。数年前まで小学校で教員として働いていました。
幼少期…
北海道で生まれた道産子です。
三姉妹の長女としてしっかりと育てられたはずなのですが、幼い頃は「ごっこ遊びではいつも主役」「自分が中心にいないと気が済まない」「嫌なことがあるとすぐに癇癪を起こす」
そんなちょっと(かなり?)わがままな性格でした。
家は母親の影響で絵本で溢れていました。読みたいときにすぐに絵本を読むことができたので、「絵本大好き少女」になりました。
人生の転機
そこまで大きな転機ではないのですが、自分自身の性格が変わる瞬間が人生で3回ありました。
突然ですが養老孟司さんの著書「バカの壁」を読んだことがありますでしょうか。
この本では「人は変わるものだ」ということが語られています。
「芯のある人」「自分がしっかりと確立されている人」がなんとなく良いとされている世の中ですが、「人は変わる生き物」なんですよね。
私はこの考え方が大好きです。
自分の性格は付き合う人、環境によってコロコロ変わってしまいます。自分は変わってしまうものなので、「いつの自分も大好きでいたい」常にそう思っています。
実際に私の好きな色は聞かれるたびに変わります。今は…「白」ですかね。少し前までは「ボルドー」でした。笑
脱線してしまいましたが、ここからはそんな「コロコロ性格の変わる私」の転機が今までの人生で3回ありました、というお話をします。
人生の転機①
一度めは小学校3年生になる4月。
引越しにより転校をしました。
知らない子たちだらけの中でどうしたら友達を作ることができるのかわからず、前の学校では散々威張り散らしていたのが嘘のように大人しくなりました。
この頃から、自分の性格がひねくれていたことに少しずつ気付き始めました。
どうやったら新しい友達ができるのかわからなくなりました。
友達がほしくて大人しく過ごしていたと思うのですが、それでもわがままは少しずつ漏れてしまっていたようで、
「3年生に入ってきた転校生、かなりわがままらしいよ。」
と知らない5年生に目の前で私の悪口を言われたこともあります。その人の顔と名前は今でもおぼえています。笑
幸い「足が少し速かったこと」と「記憶力が良く、勉強ができたこと」で、なんとか友達もできました。
当時の担任の先生(優しい男の先生でした)が大好きで、教員を目指し始めたのもこの頃です。
人生の転機②
2度目の転機は15歳。
隣町の少し都会的な高校に入ったことです。高校に通うために毎日、電車(北海道では「汽車」と呼んでいました。)の始発駅から終点駅まで1時間ほど乗っていました。
歌手のゆずの『いつか』という曲をご存知でしょうか。
その曲のMVで北川さんや岩沢さんが乗っている電車です。まさにそれに乗って高校に通っていました。
高校には本当にいろんな人がいて、とても楽しかったです。
定期テスト→球技大会→定期テスト→学校祭→定期テストというように、「定期テスト」と「行事」が順番におこなわれ「気付いたら1年間が終わっている」、とても忙しい進学校でした。
私は記憶力と集中力には自信があったので、小・中学生時代は勉強では負けたことがありませんでした。
でも、高校に入ってから飄々と高得点を叩き出している天才たちが多く存在することに衝撃を受けました。
もちろん彼らも裏では努力をしているのだと思いますが、そうは見えない人が多く「進学校すげえ!」といつも思っていました。
いくら勉強しても彼らに追いつけない悔しさと、数学や物理の計算の難しさに絶望した3年間でした。高校では一応3年生まで理系クラスに所属していましたが、数3-Cは途中で挫折しました。笑
生物の授業が大好きで、遺伝の学習が特に面白かったことを覚えています。
「世の中には天才がたくさんいる!」そう気付くことができた高校時代でした。笑
ちょっと脱線 音楽の話
話変わって、中学校から部活動で吹奏楽を始めました。
親の影響でなんとなく始めた楽器(フルート)でしたが、上達する嬉しさやみんなで合わせる楽しさから高校・大学まで続けることになりました。
特に大学では規模の大きな吹奏楽団に所属して、みんなで演奏会を創り上げる達成感や音楽を奏でる楽しさを実感することができました。楽しすぎる4年間でした。
苦難を乗り越えた仲間たちとは、今でも連絡を取り合っています。
音楽には一生続けることができる、という良さがあります。
大学を卒業してからも、一般の吹奏楽団に入ったり、小学生に教えたりと様々な場面で演奏の機会をいただけています。
(最近はあまりやっていませんが)音楽はこれからも細々と続けていきたいと思っています。フルート以外にはピアノとギターも少しだけできます。少しだけ…。
さらに音楽にはプレイヤーとしてだけではなく、リスナーとしてのかかわり方もあります。
フルートでの演奏は吹奏楽曲やオーケストラの曲をメインに練習していましたが、「聴く」のはロックバンドの曲が多いです。
ほかにも、本やアニメが大好きで、休日は気付いたら家から一歩も出ないことも。
キャンプやロックフェス、ウインタースポーツも大好き。Jリーグのチームのサポーターで、サッカーの試合にもよく行きます。ビールも大好きです。
趣味の話はもっとしたいのですが長くなってしまいそうなので、また記事を書けたらと思っています。好きなロックバンドの話、この前書いたのを貼っておきます。
matsuko-childsupport.hatenablog.com
キャンプに行ってテントを建てたら、焚き火の前で読書をします。
そんな、インドアでアウトドアな性格です。
大学とそれ以降の話
大学では、主に初等教育と国語科について学びました。素敵な書道の先生に出会い、小・中・高と大大大嫌いだった書道が大好きになりました。
そうそう、嫌いなものって好きなものに変化しやすいですよね。
一番困るのが「どうでもいい」で、これは興味をもってもらうまでがとても大変なんです。(脱線失礼しました。)
研究室の教授は、国語の教科書も作っているとてもすごい方。大尊敬の憧れの先生です。
大学卒業後は教員採用試験を受けながら、臨時採用で教員をしていました。
「臨時採用」といっても担任をさせてもらっていたので、他の正規採用の先生方となんら変わらない仕事をしていました。田舎の小さな町の、小学校の先生です。
全校児童20人ほどの本当に小さな学校でした。
「地域全体で子どもを育てよう」そんな素敵な地域でしたので、保護者の方や地域の方々と密にかかわることができました。
当時出会った皆様には本当にお世話になりました。特に保護者の方々には、社会人としての礼儀やマナーを教わったり、収穫した野菜(タマネギ)や果物(メロン)を分けていただいたりしました。文字通り「育てていただきました」笑
結局、採用試験は3回めでやっと受かりました。
採用試験に合格してからは、関東の政令指定都市で正規の小学校教員として働きました。
子どもたちがとても可愛く、保護者の方々も優しい地域でした。同僚の先生方もとても素敵な方ばかりで、今でもたまに集まってお話をします。
しかし、教員の仕事を8年で辞めました。
これが3度目の転機です。(やっと「転機」が出てきました。もう出てこないかと思いました。笑)
人生の転機③
小学校教員はとても安定した仕事でしたが、働きながらも思うことがたくさんあり、ついに爆発して退職に至りました。
旦那くんと出会い、結婚したのもこの頃です。外向きには寿&引越しによる退職みたいな感じに見えたかもしれませんが、当時働いていた学校は新しいおうちからも通える距離でした。笑
退職の理由については別記事で。
matsuko-childsupport.hatenablog.com
退職後…
小学校教員を退職したあとは、教員免許を生かして児童指導員として児童発達支援・放課後等デイサービスで働いています。
「児童発達支援・放課後等デイサービス」とは「障害のある子どもたちや発達に支援が必要な子どもたちが来るところ」で、「療育」機能と居場所機能を兼ね備えた福祉サービスです。
私がいま働いている事業所は「運動療育」をおこなっている児童発達支援(園児さんがくる施設)です。とても楽しいです。
児童指導員になり障害のある子どもたちと毎日かかわる中で、新しい発見をたくさんしてきました。「障害」や「発達障害」に関する知識も足りなかったので、本を読んだり研修会に参加したりして勉強しました。
また学齢期の児童生徒だけでなく、乳幼児の「保育」についても勉強してみたいと考え、昨年は保育士試験に挑戦しました。
結果は一発合格!記憶力の良さは健在でした。(自分で言う)
最近はもともと好きだった本を読む時間がさらに増え、インプットの毎日です。
「2022年はアウトプットをもっとしていきたい」
そんな思いからこのブログを毎日更新できるよう、頑張っております。
まだまだ道半ばな私ですが、続けられるように頑張りますので見守っていただけましたら幸いです。
まつこ
保育士試験についてはこちら↓
matsuko-childsupport.hatenablog.com